「コロナ脳―日本人はデマに殺される」を読んで考える
書籍名 |  :  | コロナ脳―日本人はデマに殺される |
著作者 |  :  | 小林 よしのり/宮沢 孝幸 |
出版社 |  :  | 小学館 |
発売日 |  :  | 2021/4 |
ISBN |  :  | 9784098253951 |
コロナ禍を振り返る (2023/05/03)
2023年5月8日に新型コロナは「5類」へと引き下げとなる。
感染拡大の初期、日本は世界の中でも被害が少なく、ファクターXが存在するのではないかとも考えられた。実際に、超過死亡は感染前より少なくなるという状況だった。この本「コロナ脳―日本人はデマに殺される」が出版された2021年4月、ワクチン接種がまだ始まる前、すでにウイルスは弱毒化しつつあった。
しかし、それから2年。現在は、平均寿命までが下がってくる事態となっている。経済は大きなダメージを負った。一体何があったんだろうか。振り返る意味で小林よしのり氏と宮沢孝幸氏の対談形式のこの本「コロナ脳―日本人はデマに殺される」を改めて読んで考えてみた。
獣医学博士の宮沢氏は、この本でも興味深い指摘を多数示されるが、私は、次の一文が、今回の騒動を端的に言い得ているように思う。
負担が大きい割に、効果の薄い対策ばかり出てくるんです。検出の限界を狙ったPCR検査を1日に何万件もやるなんて常軌を逸しているし、それで無症状者を炎り出して隔離しても、感染拡大を抑える効果なんてないんです。
誰のためなのかというような対策ばかりだったのではないだろうか。また、宮沢氏は、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』になぞらえPCRが実用化されていなかったことで無症状者を隔離することができなかった1984年に新型コロナが発生していたらどうなっていたかを想定し、次のように話す。
PCRのなかった35年前のほうが、ずっとうまく対応できていたと思うんですね
専門家の宮沢氏が正しいのか、私には、もちろん正解はわからない。でも、まともな議論さえなされることなく、竹やりで戦闘機を落とすような稚拙な対策だけが半ば強要されたことに絶望を覚える。また、この本ではワイドショーの罪についても多くのページを割いているが、個人的には、なぜワイドショーがファクトチェックされないのかと疑問に思う。国の方針と違う意見だけがファクトチェックの俎上に上るのだとしたら、それは「ファクトチェック」ではなく「検閲」というものだ。
関連死を含めたインフルエンザの年間の死亡者数は1万人であるとしたうえで、自粛ではコロナを封じ込めないとわかってもやめられないことについて宮沢氏は次のように話す。
国民の意識がそうなんです。だから、4000人亡くなるということが最初からわかっていて、それを許容できていたら、こんな過剰な対策をしなくてすんだわけですよ。ステイホームもする必要なかったんです。
毎年起こっていたことが、突如許容できなくなってしまったのである。今回のコロナ禍を戦争に例える人も多い。日本は敵国からの侵略を防ぐために明治・大正・昭和と戦いを重ねてきた。歴史を振り返れば、私利私欲を捨て、脅威に立ち向かい、散っていった人たちがいたからこそ今の日本がある。一方、真珠湾攻撃に代表されるような「敵を利する行為」に出る者もいる。残念ながら、今「敵を利する行為」ばかりが進められているように思えてならない。
小林氏も次のように指摘する。
戦時中は「命は鴻毛(こうもう)より軽し」と言って、特攻隊に若者が志願して、いっぱい死んじゃったからね。戦後はそれに対する批判が起きて、今度は逆に振り切れてしまって「人の命は地球より重い」と言って、生命至上主義になってしまった。さらに生命至上主義から「延命至上主義」になっちゃったんだよね。ただただ長生きする。1年でも2年でも長生きするのが善になった。それが一つの大きな宗教に日本中がなってしまっているからね。だから集団免疫といったら怖い。でも、インフルエンザで毎年やっとるやん。毎年集団免疫で終わっとるやんという話なんだけど、そこには気がつかないんだよ。
世界では早い時期にコロナ騒動は過去のものとなっている。被害の少なかったはずの日本ばかりが大きなダメージを引きずっている。日本でも2年前にまともな提言をする人たちはいたのだ。メディアに踊らされている私たち庶民。これで本当に良いのだろうか。