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「武士道」を読んで考える

書籍名 : 武士道―いま、拠って立つべき“日本の精神”
著作者 : 新渡戸 稲造
出版社 : PHP研究所
発売日 : 2005/8
ISBN : 9784569664279

武士道とはこんなにも偉大なものなのか (2023/06/29)

「Bushido: The Soul of Japan (1900) 」 Hearn 92.40.10, Houghton Library, Harvard University/ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

「武士道の原書/Bushido: The Soul of Japan (1900) 」 Hearn 92.40.10, Houghton Library, Harvard University/ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

今から120年以上前、世界に向けてこの本『武士道―いま、拠って立つべき“日本の精神”/著:新渡戸稲造』の原書が英文で書かれ、世界中で読まれることとなった。日露戦争講和の際にセオドア・ルーズベルトは、この本『武士道』のおかげで調停役を引き受けたともいわれる名著である。

日本人が武士道をすっかり忘れた今、かつての強い日本を何が支えたのか、恐ろしい速さで弱くなっている日本は救われることがあるのか、改めて私たちの源流を解き明かしてくれるこの本『武士道』に学び、考えてみたい。

この本は様々な角度から武士道を分析し、定義して行く。「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義・教育・克己・切腹と仇討・刀・武家の女性」など、武士道を形づくる要素を挙げて解説して行く。

私のような、日本に生まれた日本人であれば、当然、武士道を知っている、そんな気にもなるのだが、この本で、歴史的に貴重な映像のように映し出される武士道は、常に死を通して自らの生に光をあてる壮絶ともいえる側面を見せてくれる。それは10歳にも満たない幼い武士にも見事に行きわたっていて、取り乱すことなく切腹というかたちで名誉を守った実例として書かれている。

日本人であれば、庶民であっても皆、大和魂の影響は受けているであろう。しかし、武士道は人口の一割ほどの高貴な身分のものが実践していた教えである。死を目前にして詩歌を作るような偉大さが求められるのだ。

武士道は、その生みの親である武士階級からさまざまな経路をたどって流れだし、大衆の間で酵母として発酵し、日本人全体に道徳律の基準を提供したのだ。もともとはエリートである武士階級の栄光として登場したものであったが、やがて国民全体の憧れとなり、その精神となったのである。もちろん大衆はサムライの道徳的高みまでは到達できなかったが、武士道精神を表す「大和魂」(日本人の魂)という言葉は、ついにこの島国の民族精神を象徴する言葉となったのだった。

私は、なぜ武士でもない庶民が、日清・日露と過酷な戦争を極めて勇敢に戦ったのか不思議でならなかった。当時は本物の武士道から精神を受け継いでいたようだ。納得できた気がする。今の日本人は、すっかり勇敢さなどとは無縁になっているように感じるのだが、なぜか皆、ゲームでは戦いが好きである。このことも不思議に思っていたが、次のような記述がある。

すなわち、大衆の娯楽と教育の手段、芝居、寄席、講談、浄瑠璃、小説などの主な題材はすべてサムライの話から取られていたのだ。農民はあばら屋のいろりを囲んで、義経とその忠臣弁慶や、勇敢な曾我兄弟の物語をあきることなく繰り返した。浅黒い腕白小僧たちは口をぽかんとあけて聞き入り、最期の薪が燃え尽き、残り火が消えても、いま聞いた物語に心を燃やすのだった。都会では番頭や丁稚たちが、一日の仕事を終えて雨戸が閉められると、一つの部屋に集まって、夜が更けるまで信長や秀吉の話に夢中になり、やがて睡魔が襲うと、彼らは店先の苦労から戦場の武勲ヘと誘われたのだ。

「新渡戸稲造と妻の新渡戸万里子(メアリー・エルキントン)」/ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

「新渡戸稲造と妻の新渡戸万里子(メアリー・エルキントン)」/ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

こんな部分は今も受け継がれているのかもしれない。当然のことではあるが「武士道」が、欠点のない思想ということはない。この本でも欠点や短所についての言及がある。個人的な考えを書くと、封建制度のもとで創り上げられてきた「武士道」は主君への絶対的な服従が基盤となる。勿論、このことが自分の頭で考えることと全く相容れないわけではないが、それでも「武士道」の精神を受け継いだ「大和魂」にあってももう少し、自分の頭で考えることに重点が置かれても良いように思う。「高潔さ」などの良い部分は残し、進化しても良いように思う。残念なことに、武士道精神の良いところはすっかり忘れられ、封建的社会の悪い部分ばかりが残っているように思う。「民の竈(かまど)」で云われるような国とは全く別物になっているように思う。この本『武士道』に次のように書かれたサムライは、本来、高貴な環境に生まれ付いた人の中にも見つけることが難しくなったのではないか。

過去の日本は、まごうことなくサムライが造ったものであった。彼らは日本民族の花であり、かつ根源でもあった。天のあらゆる恵み深い贈り物は、サムライを通してもたらされた。サムライは社会的には民衆より高いところに存在したが、民衆に道徳律の規範を示し、みずからその見本を示すことによって民衆を導いたのである。私は武士道に、武士のあるべき姿の奥器と通俗的な教訓の双方があったことを認めている。通俗的な教えは一般大衆の安楽と幸福を願うものであり、奥器のほうはみずからの武士道を実践するという気高い規律であった。

「サムライ」5187396 @Pixabay

「サムライ」5187396 @Pixabay

残念ながら、日本が永久に戦争から切り離されたということはないだろう。過去の良さの大半を見失った国民が次の戦いに勝てるとは思えない。もしかすると国のかたちを失ったときのために、私たちの魂について見直すときなのかもしれない。

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