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日本人が知ってはならない歴史

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「日本人が知ってはならない歴史」を読んで考える

書籍名 : 日本人が知ってはならない歴史
著作者 : 若狭 和朋
出版社 : 朱鳥社
発売日 : 2004/07
ISBN : 9784434046285

「生ぬるい気持ちの悪さ」を思う。 (2013/10/14)

未だ日本は「戦後」から抜け出せていないと考える人は多い。

では、どうすれば良いのか。果たしてまだ「戦後」からの脱出は可能なのだろうか。そして、そもそも近代日本では、一体何が起こってきたのか。そんな思いでこの本「日本人が知ってはならない歴史/若狭 和朋」を読んだ。

個人的なことではあるが、貧しく生まれ、世の中の暗い側面を見る癖がついてしまっていたからなのだろうか、子供の頃からこの国を覆う「生ぬるい気持ちの悪さ」が気になってしょうがなかった。恥ずかしながら随分と長く生きてきて、最近やっと「生ぬるい気持ちの悪さ」の根源に気が付いた。それはどうやら歴史だと気が付いた。

38年間高校教師をされてきたという著者の若狭和朋氏は、この本の中で私たち日本人に知られては困る歴史を説いてくれている。なぜ知られては困るのか。それは日本人に“痴れ”たままでいて欲しいからということなのだろう。この本のなかで“痴れ”という言葉が何度も使われる。若狭氏は、

人間は、まずは言語的存在である。

とし、人間という存在における「知」や「言葉」の重要性を説く。また、

日本の再興は、日本人の知性の再興にかかっています。歴史認識は、日本人の言語性を奪還する営為の背骨だと、私は確信します。

とも記す。

この本は、明治の初めから日露戦争までの「知ってはならない歴史」を示している。若狭氏は、本当の意味での反省を「省察」と呼び、強固な歴史認識を築くための「省察」をこの本の中で歴史に沿って行っている。また、「東京軍事裁判」を「追撃戦」であると指摘し、

日本人は追撃戦に負けて、そのことによって本当の反省ができなくなっている、と見るのが正しい。

とも記す。

この時期、日本は朝鮮への対応に多くの期間を費やすことになる。その朝鮮への対応や、欧米各国との対応を通した葛藤は、間違いなく先代があまりにも莫大な犠牲を払い残してくれた財産であるはずだ。私は、今、“痴れ”てしまった日本に圧倒的に欠如した「知」が、ここにある気がしてならない。

東京軍事裁判とは、法廷に名を借りた作戦であることに思いをいたせば、軍事作戦であることを知るのに造作はないはずである

と記された敗戦後の日本への道筋がこの時期に決められてゆくことになる。

この本を読み進めていく中で、私が抱いていた以前からの危惧が、記憶に蘇った。総マネー信者と化した日本人は、経済活動であれば何でも正当化されると思っている。これらの戦争のひとつの側面が権益の確保、経済活動であることは明らかにわかっているはずなのに。

「追撃戦」に破れ、薄っぺらな「平和」という空気を国中に充満させてしまった日本。でも、第2次世界大戦の終結と共に世界が変わったのではなく、ひとつの残酷なゲームが終わったに過ぎない。

ひとつの側面として、「殴りかかられた戦争」であったとは思う。でも、日本の先代は、黙って国を明け渡しはしなかった。だから、まだ日本がある。そして、間違いなく莫大な教訓を残してくれている。

殴りかかられたのに、「なぜ、殴ってしまったんだ」とオカシな反省をし続けることが、健全であるとはとても思えない。まして、それが「子供たちのためだ」という残酷な薄気味の悪さ。若狭氏の書かれた「知性の再興」に強く共感する。

この本「日本人が知ってはならない歴史」では、日露戦争までの歴史に沿って“痴れ”てしまった日本へと至る道筋を「省察」している。日露戦争以後は、続編で「省察」がなされている。

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