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コサック~1852年のコーカサス物語~ (光文社古典新訳文庫)

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「コサック―1852年のコーカサス物語」を読んで考える

書籍名 : コサック―1852年のコーカサス物語
著作者 : レフ・トルストイ
出版社 : 光文社
発売日 : 2012/03
ISBN : 9784334752477

幸せとは何か、遠くから考える (2017/09/12)

レフ・トルストイによる「コサック -1852年のコーカサス物語-」を読んで考えた。

19世紀中ごろ、南下するロシアがコーカサス地方で現地のコサックと組み、チェチェン民族の住む地域を領有するために戦いを企てる。この本は、その状況下における日常を、士官補として現地に赴いた若きロシア人貴族の視点で描いた物語だ。

1851年に砲兵として軍隊に参加したトルストイのコーカサスでの体験をもとに書かれたこの「コサック」では、執筆当時、30歳代のトルストイが抱いたであろうコサックの素朴な暮らしへの幻想とも思える淡い思いを、主人公オレーニンを通した緻密な心理描写と共に綴りあげている。

この森に覆われた肥沃で植生豊かな帯状の土地に、戦好きの美しく裕福な旧教徒のロシア人が、だれも覚えていないころから住んでおり、グレーベン・コサックと呼ばれていた

私は、コサックとは特定の民族のことを指す呼称なのかと勘違いをしていた。コサックとは15世紀のウクライナに発祥した戦闘を生業とする集団のことのようだ。間違いを怖れずに例えるならば「忍者」のような、特定の集団、共同体の呼び名であって、特定の民族、人種に対する呼び名ではない。

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photo : Pixabay

トルストイの書いた「コサック」の主人公オレーニンが宿舎を置いた村には、グレーベン・コサックという、ロシア人を祖先とし、チェチェン人と混血、山岳民族の習慣、風俗を身に着けたコサックが住んでいる。ドン・コサック軍領の南側に位置するので、コサックのなかの主要な一派であるドン・コサックの流れを汲むコサックなのだろう。しかし、Googleで検索しても「グレーベン・コサック」は、このトルストイの「コサック」に関するページしか表示されず、もしかすると他に呼称があるのかもしれない。

このキリスト教徒の集団は世界のすみっこに放りだされて、なかば野蛮人のイスラーム教徒の兵士にかこまれていながら、自分たちは高度に発展していると考え、コサックだけを人間と認めている。それ以外はすべて軽蔑して眺めるのだ

ロシア帝国の歴史にたびたび登場し、日露戦争にも参加していたコサック。ロシア帝国側でたびたび戦地に赴いたコサックは、ロシアにおける奴隷兵士のような存在などではなく、独立した集団として誇りある存在であったのだ。また、ロシア人貴族を通して描かれたこの傲慢なまでの想いは、別の側面も考えさせてくれる。ロシア帝国は南下しイスラム教徒であるチェチェン人の地域を制圧するのだが、未だ燻り続けるこの紛争は、決して世界は平和などに向かってさえいないことを感じさせる。私たち日本人が抱く1945年に、世界は奇跡的に、隅々まで善良な人々で置き変わったという根拠なき幻想の悲しいまでの可笑しさをここでも感じることができる。また、この本で余りにも美しく描かれた、素朴なコサックは、後にソ連によりこの地を追われることとなる。

この本「コサック」の、余り多くない戦闘場面では、武器を持った人間同士の戦いが描かれる。勿論、悲惨なものではあるが、まだ人間としての尊厳を感じとることができる。それにしても、士官補として前線に赴いた主人公オレーニンを通して描かれた日常は、コサックの家を宿舎とし、身の回りの世話をする下男ワリューシャをモスクワから同行させ、戦闘作戦のないときは、狩りに森に出かけ、コサックと酒を飲み、山岳での暮らしを満喫するもので、日本人からするとこの貴族の生活は不思議なものでしかない。但し、ロシアは同時期にクリミア戦争を戦っている。この戦争は、後の日露戦争、第一次・第二次世界大戦へと繋がる、近代戦特有の余りにも非人道的な消耗戦となる。トルストイは激動の人類史を最前線で体験していたのだ。

なぜ多くの日本人がトルストイの作品を好むのか。その理由の一つに、日本人には決して体験することのできない貴族の生活という非日常を、精密な心理描写で疑似体験させてくれる卓越した文体があるのではないだろうか。そして、そこには恋愛における心の葛藤というスパイスがたっぷりと練りこんである。この物語では、特にマリヤーナという女性を通して、コサックの人々が美しく描かれ、都会での生活に幻滅した貴族オレーニンのコサックに抱く心理、葛藤を、まるで自分の身に起こったことなのではないかと思えるくらいに緻密な描写として体験できる。

トルストイの作品では善良な庶民が描かれることが多いが、この「コサック」では、30歳代で既に一度、庶民に抱いた美しい幻想を砕かれていたことも窺い知ることができる。

幸せとは何なのか、私自身や多くの日本人とはまったく違った立場で考えさせてくれる物語だ。今に繋がる狂気の源流としての戦いや、「幸せとは何か」という永遠のテーマを、世界的文豪の緻密な描写と、恋愛における心の葛藤というスパイスと共に、考える貴重な体験を与えてもらった。

それでもストーリーは単調で、私のように下積みばかりを更に積み上げてしまったような日々を長く過ごしたものにとっては、文豪の緻密で高貴な葛藤を堪能するには余りに未熟で、理解へ近づくための心理的余力さえ持ち合わせていないようだ。長すぎる短編小説という抱いてはならない感想に辿り着くこととなった。

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