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ぼくらの死生観 ― 英霊の渇く島に問う - 新書版 「死ぬ理由、生きる理由」 - (ワニブックスPLUS新書)

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「ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う 新書版「死ぬ理由、生きる理由」」を読んで考える

書籍名 : ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う 新書版「死ぬ理由、生きる理由」
著作者 : 青山 繁晴
出版社 : ワニ・プラス
発売日 : 2018/08
ISBN : 9784847061332

やることがあるような気がして、私は日々を戦う。 (2018/12/19)

この本「ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う」は、2014年に発売された「死ぬ理由、生きる理由」の新書版で、書き下ろし原稿「この書が新書として再生する朝は、こころの晴れ間です」という一つの章ほどの内容が加えられている。

硫黄島がアメリカ軍に占領されてから、この航海の時で69年が経っています。そして硫黄島が日本に復帰したとき、それは硫黄島に続いてアメリカ軍が占領した沖縄の祖国復帰より4年前の1968年のことですが、そこからは46年間が過ぎています。この長い歳月で、こうした『硫黄島を考える講演会付きのクルーズ』は初めてのことでしょうと関係者はおっしゃいます。みなさん、このクルーズをぼくと一緒に再体験しませんか。

2014年5月に行われた6日間の「にっぽん丸 小笠原・硫黄島クルーズ」という硫黄島を海上から見る航海の船上で、青山繁晴氏の講演「海から祖国が甦る」を聞くというツアーを、疑似的に体験できる感動的な内容の本である。青山氏は、政府関係者や政府が開催する行事以外で、日本人で初めて正式な許可を得て、2006年に硫黄島に入り、日本軍の戦いの跡を調査している。

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photo : Pixabay

今でこそ、硫黄島(いおうとう)が日本人にとって特別な島であることを知る人は多いが、クリント・イーストウッドが監督をした「硫黄島(いおうじま)からの手紙」が公開された2006年には、島の名前以外は特に何も知らないという人も多かったのではないだろうか。この映画では、島の名前さえも間違っているのではあるが。当時、私も映画「硫黄島からの手紙」を見たが、憲兵の鬼畜な振る舞いばかりが印象に残ったような気がしていた。改めて「硫黄島からの手紙」を見た。やはり、憲兵の振る舞いに、嫌な気持ちにさせられたのは間違いはないのだが、硫黄島にあった町が再現されていたり、少し違う感想も持った。それでも、1945年2月から硫黄島で何があったのかを知るというものではないように思う。

私を始め、多くの日本人は、現代を築いてくれた方々についてなどの本当に「大切なこと」に、残念ながら不勉強である。青山氏のクルーズを疑似的に体験できるこの本は、臨場感をもって、「大切なこと」を学ぶことができる素晴らしい本である。「にっぽん丸 小笠原・硫黄島クルーズ」の盛況ぶりも記されているが、このような特別なツアーでなくても、青山氏の講演は、いつも満員であるようだ。しかし、それでも「大切なこと」に不勉強であることが問題であると考える日本人は、圧倒的に少数派だという現実が間違いなく存在する。

そもそも個人的には、青山氏があまり好きではない。たぶん多くの方も感じていることだとは思うが、大袈裟である。そして何より、青山氏ができることは、誰でもできるという考え方が嫌いだ。この本は死生観を謳っている。なので私も思ったことを率直に書くべきだと感じた。

いちばん大切な、肝心なことは、その2万1千人のうち、自分の利益のために掘った人はただのひとりもいないということです。

iwojima

photo : Pixabay

硫黄島で日本軍はいたるところに地下壕を掘り、米軍と戦った。まともな道具もなく、素手で掘ることさえもあったと青山氏は教えてくれている。更に青山氏は、自分の利益のために掘った人はいないと説く。しかし、私はこの考えには反対だ。多くの人は、自分の家族のためとか、かなり自分の利益に近い部分で行動したのではないかと思う。日本国の存続のためとか、大きなことを考えた人は極めて少なかったのではないかと思う。

私が、青山氏の考えに全て賛成はできないからといって、この本が素晴らしいということに、何ら変わりはない。涙が溢れそうになるエピソードがいたるところにある。

実はこれは硫黄島で任務を果たす自衛官にとっては隠れた常識なのです。先ほどのP3C哨戒機にしても、硫黄島から神奈川県の厚木基地へ夜半に戻るとき、暗い機内で「おい良かったなぁ。友軍が飛行機で迎えに来てくれるとはなぁ」という声が毎回のように聞こえているそうです。

本当に「おい良かったなぁ」と言ってもらえたら素晴らしい。そのために何ができるのか。青山氏がやっているようなことを真似しようとしたら、たぶん、青山氏と比べわずか0.01%でさえも実現できないであろう。しかし、やっぱり、青山氏にはできないことがあるような気がするのだ。

この本「ぼくらの死生観―英霊の渇く島に問う」の巻頭に「生きるヒント」と題された短い文章がある。それは次のような文で始まる。

わたしたちはどうやって生きるか。そのヒントというのは、ほんとうは天があちこちに用意してくださっていると思います。

私が劣った魂であることは間違いがないようだ、天は「何だよコレ」と言いたくなるものばかりを用意してくださった。それでも、やることがあるような気がして、日々を戦っている。決して青山氏のような高尚なものなど何もない。そんなことが私の死生観の根っこのような気がする。私が硫黄島で戦った方々について語るには余りに勉強不足なのだろう。それでも現代の日本人について語ることは許されるのではないか。日本人は、現代においても、やっぱり何かと戦っているような気がする。多分、彼らは、危機が迫れば、また武器を持って戦うであろう。ただ、今度はせめて、もう少しマシにできないかと思うばかりだ。

「子や孫にツケを残すな、子どもたちのために増税を」と叫ぶ年寄り達がいる。少し歴史を学べば、増税による日本の相対的な縮小によって、また通州事件のようなことが起こることは、容易に想像できるのではないだろうか。本当に新たな悲劇、過酷すぎる試練を用意することが子供達のためなのか。

多くの日本人が、日本解体に賛成ならば、私如きが何か言うことなどはない。ただ、その過程で起こることは話していかなくてはならないと思う。

青山氏を支持する人は多い。青山氏だけでなく、インターネット動画の普及に合わせるように、保守と呼ばれる方々は多くの支持を集めている。それでも、圧倒的に多くの国民はマス・メディアに踊らされている状態に見える。たぶん、青山氏のような高尚なレベルではなく、別なレベルでやらなければならないことがあるのではないだろうか。現代の日本を築いてくれた、前の方々にも、そして、後の人々にも「おい良かったなぁ」と言ってもらうために。

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