ホーム 近頃思う 思うこと。根本的なこと。

思うこと。根本的なこと。

私が人知れず、ただひたすら文字を並べるのは、言いたいことがあるからだ。

いつの時代もつらい思いをするのは庶民である。次が来る前に少しでもつらさや、痛みから身を守る手立てを考えて欲しいのだ。必ず次はくるだろう。こんどは少しマシにしないか。言いたいのは、そういうことだ。

a japanese flag flying in front of a mountain

Photo by Caleb Jack via Unsplash

今、日本の危機を説く人も多い。戦争になどなるわけがないと思っているのかもしれないが、

私たちは敗戦国ではあるけれども、人類史上初の争いごとから解き放たれた国になったわけではない。ならばいつかは争いに巻き込まれる。というよりも自ら弱体化して、危機に向かっていくのなら、その日は近いであろう。物理の法則が全ての物体に働くように、日本だけがあらゆる災いから除外されることはない。

心あるものよ。せめて考えないか。ゲームも良い。お笑いも良い。でも、本当に人生とはそれだけなのか。映画のようにマトリックスに繋がれていたい、それで良いという人もいるだろう。違うことを違うといえば、酷い目にあう。でも誰かが言わないと次もまた戦争に負ける。

どうすれば良いというのかは、私にもわからない。でも少しロジカルには考えるべきだ。外国から来たコンサルティングファームの言い成りになれば良いなどということでは全くない。

mount fuji, sunrise, morning haze

Photo by Kanenori via Pixabay

本当に不謹慎なことではあると思う。 だけれども言う。 例えば 通州事件や、尼港事件。被害に遭った人の家族は声を荒げて国を責める。でも、そのことが起こる可能性があるということは大抵はわかっているものである。どこかに情報が出回っているのに、見ないふりをしていたのではないか。言いたいのは過去のこと、過ぎたことではない。これから起こることだ。勿論、未来のことは予測が外れることもある。でも、声を荒げて国を責める必要がないように事前にできることはないものだろうか、考えようよ、ということだ。

平和な時にしかできないことがある。今しかできないことがある。もし、有事となれば、マスク警察は、自主憲兵へと形を変えて、人知れず文字を並べることさえ許されないであろう。

私が、一番懸念していること、それは通州事件、尼港事件が再現される、そして国の世論が一気に過激な方に振り切れ、新聞社は部数の減少を恐れ世論に迎合する。戦争で儲ける企業体は油を注ぐ。今回はもうもたない気がする。100年前はまだ国を思う優秀な人がいた。今は死に絶えたのではないだろうか。

答えはまだ見えない。でも考えないか。

おすすめ記事

トップへ戻る