日本晴れが懐かしい

ひつじ雲
10月も末日となり、すっかり寒くなってしまった。
10月の中旬頃まで、雨が降ったりして、はっきりしない日が続いた。秋の長雨は9月のことという認識があった。大抵は10月の始めには終わっていたのだ。今年、やっと秋らしい晴れの日となったのは10月20日頃になってからだった。写真は2022年10月21日に撮った写真だ。ひつじ雲だろうか、本当に久々に秋の雲を見た気がする。
1964年の東京オリンピックは10月10日に開会式があった。なぜ10月10日なのか。それは 晴れの特異日だからであるということがよく言われている。私は個人的に、自動車レース、特にF1レースが好きで毎年TVで観戦している。日本での開催は、年によって変わるのだが10月が多い。かつてF1ブームがあった1980年代、90年代は、見事な「日本晴れ」の日が多かった。それが近年はすっかり雨ばかりである。赤とんぼが飛ぶ風景もすっかり見なくなった気がする。
温暖化は無いと主張する人もいる。確かに冬は寒くなっていたりして、年間で平均すると変わっていないのかもしれない。少し古い話になるが、温暖化が世界的に問題になり始めたころだと思う。アル・ゴアというアメリカの政治家が「不都合な真実」という映画に出演し、環境問題、温暖化防止について訴えたが、アル・ゴア本人の家は大量の電力を消費している、そのことこそが「不都合な真実」だなどと庶民の間では良く言われたものである。
近年では、グレタ・トゥーンベリという女性の環境活動家が有名だが、彼女のエコ活動を支えるために大量の化石燃料が使われていることも様々なメディアで取り上げられている。
大気中の二酸化炭素濃度が急上昇していると言う人がいる。反対に 大気中の二酸化炭素濃度は 減り続けていると言う人もいる。人類の誕生以来という地球にとっては極めて短い時間であれば二酸化炭素濃度は上昇しているが、数億年の単位では、二酸化炭素濃度は極めて大きく減っているのだ。二酸化炭素の減少が進めば、光合成ができなくなり、生態系は存続しえないのは明らかなことであろう。個人的には今くらいの上昇ならば逆にいいのではないかとさえ思う。
また、大気中に占める二酸化炭素濃度はせいぜい0.005%なのだと主張する人もいる。さらに地球上で排出される二酸化炭素のうち、人間が排出している分はわずか0.5%だという主張もある。意外に少ないことに驚く。
レジ袋の有料化。どう考えて二酸化炭素削減には無意味じゃないのか。発電のために莫大な二酸化炭素を放出しておきながら、余りにも微々たるもの過ぎて、誰が得をするのだろうかと思う。さらに地球環境保護といいながら、極めて大規模な森林破壊を進める「太陽光発電」とか意味不明じゃないのか。おカネが大好きな日本人が、電気代の約1割を太陽光発電のために渡している。なぜ誰も何も主張しないのかと不思議に思う。何が本当に大切なのか「考えようよ」と言いたくなる。
少し長い目で見れば、気候が変動して行くのは、どうやらやむを得ないことなのかもしれない。それにしてもかつての日本晴れが恋しい気がする。
2006年の東海テレビのサイトで面白い記事を見つけた。「放送で使う言葉」の検討会議で「日本晴れはどの季節に使えばよいのか」という疑問が出たというのだ。昔は秋晴れの日が多かったので、秋じゃないかと思う人も多いと思うが、つぎのように記している。
“つまり「日本晴れ」は空模様の表現だけでなく、「ハレの日」の心象に添えてこそ有効な言葉なのです。この用法なら季節も関係ありません。”
確かに実りの秋の「日本晴れ」なんて、シックリくるし、懐かしい日本の原風景のように思う。やはり、かつての日本晴れが恋しい。
